左官歴史
「左官」の語源は、宮中の営繕を行う職人に、土木部門を司る木工寮の属(さかん、四等官の主典)として出入りを許したことから(『日本国語大辞典』他)というものが巷間に広く知られているが、建久元年(1190年)十月に東大寺の再建大仏殿の棟上のときに大工や、その他の職人が官位を受領しているが、そのとき壁塗が左官となったこと(『玉葉』)に基づいたものとする説(『国史大辞典』)もある。
左官とは
日本家屋の壁は、竹などを格子状に編んだ小舞下地(こまいしたじ)の両面に、藁(わら)を混ぜた土を塗り重ねる土壁、消石灰・麻等の繊維・糊でつくった漆喰が用いられるが、それらの仕上げに欠かせない職種であり、かつては土蔵の外壁やコテ絵など、技術を芸術的領域にまで昇華させる入江 長八などの職人も現れた。
明治以降に洋風建築が登場すると、ラス網や練瓦そしてコンクリートにモルタルを塗って仕上げるようになり、日本建築以外にも活躍の場が広がる。
昭和30年代 ~ 40年代の高度経済成長期には、鉄筋コンクリート構造(RC構造)の建物が大量に造られ、多くの左官職人が必要とされた。戸建住宅においても、当時の内壁は綿壁や繊維壁の塗り壁仕上げが多かった。またこの頃から浴室のタイル貼りなども行うようになった他、基礎工事、コンクリートブロック積み、コンクリート打設(打込み)時の床均しなど仕事内容も多様化していった。
最近になり、漆喰・珪藻土・土等の天然素材を使用した壁が見直されると共に、手仕事による仕上げの多様性や味わいを持つ、左官仕上げの良さが再認識されてきている。ホルムアルデヒドなど有害物質を含むものなどがあり、健康壁などが最近では受注が多い。また、「和モダン」と呼ばれる、日本らしさと欧米のモダンスタイルを併せ持つ建築には、多彩な左官仕上げが使われる事が多い。
大型建設現場でも多くの新材料が開発され、セルフレベリング材やはがれにくい洗い出し材料など 耐久性と性能が向上した材料が開発され多くの現場で使用されている。
左官職人とは歴史ある職人職であり、左官技能一級という国家資格などを有する職人が長年の経験を活かし、多彩なデザイン、強固なもの、職人技を活かした技法を用いて仕事をする。人に誇れる素晴らしい職である。